今日も楽しく生きていこう~

なぜ?私はこうして生きてるのだろう?辛くて悲しい事ばかりだったどん底の十数年前から楽しく生きられるように、自分で生れて来たことが楽しめるようになった、その素敵なヒントをくれた素敵で分かりやすいちょっとびっくりなメッセージを一人でも多くの人に広めたい!と言うブログ。それと私の好き勝手な思いも綴ります。

しがみついてることに気づかずやっていたんです~アシュタールのメッセージより~

期待するということは 固執や執着かもしれません

いつのまにか 心が しがみついてしまうんです

期待した何かに 期待した誰かに… 

 

私も以前は 子供たちに 家事など手伝ってくれることを

よく期待しちゃってました

手伝ってくれることへの期待 私を気遣ってくれることへの期待


でも その期待通りにならないと 腹が立つ…

面白くない現実にしていたのは 自分なんだと気づいて

一切 期待することを手放しました

 

期待を手放すと 世界が広がります

心も解放されて 楽になります 自由になります

期待などしなくても 期待以上の感謝や喜びを

感じることができるって分かりました

 

アシュタールのメッセージ転載させていただきます

(ここから)

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 

期待はしないでくださいね。

 

期待するというのは、自分以外の人や環境に依存するということです。

 

 

 

誰かに期待する、こういう状況になることを期待する・・

 

それは自分以外の人に頼るということになります。

 

 

 

それは、自分ではその状況を解決出来ない・・と思っているということです。

 

だから、他者がそれをやってくれることを期待して待つ・・ことになるのです。

 

 

 

期待すれば、ツラくなります。

 

自分が期待していることを本当にしてくれるのか・・その人次第になりますので、自分で

 

何も出来ないので、ツラくなるのです。

 

 

 

期待していたように動いてくれればいいですが、そうでなければ裏切られたと思い、

 

怒りが出たり、がっかりしたりします。

 

エネルギーを失ってしまうことになります。

 

 

 

誰かに期待するのではなく、誰かが状況を変えてくれることを期待するのではなく、

 

自分で現実を変えるという覚悟をすれば、もし状況が思っていたようにならなくても、

 

自分がしたことですので、怒りも出ませんし、がっかりしません。

 

 

 

いえ、がっかりします・・と思うかもしれませんが、それはあきらめたからです。

 

あきらめなければ、それは失敗したことにはなりませんので、がっかりはしません。

 

あきらめなければ、次はどのような方法でチャレンジしようと思えるのです。

 

だから、エネルギーを失うこともないのです。

 

 

 

パートナーに期待する・・というのもそうです。

 

パートナーが何かしてくれる、自分の期待に応えてくれるのを待つ・・となると、その期待に

 

応えてくれなければ腹が立ちます。

 

あまりに長く待たされると、そのパートナーに良い感情を持たなくなってしまうこともあります。

 

そのくせを治してほしい・・と期待すると、治そうとしてくれないパートナーに対して怒りや

 

がっかり感を持ってしまいます。

 

 

 

そのくせを持っているパートナーが好き・・そう思えれば、自分の意に沿ってほしいという

 

期待をすることもなくなります。

 

期待するから、腹が立ったり、いら立ったり、がっかりしたり、イヤになったりするのです。

 

 

 

人は、自分の思うようにばかり動いてはくれません。

 

人には人の考え方やくせ、価値観があります。

 

みんな違うのです。

 

 

 

それをしっかりと認識していれば、期待することもなくなります。

 

自分の思うとおりになって欲しいと期待することがなくなりますので、とても楽になります。

 

 

 

期待はエゴです。

 

自分の思い通りになって欲しいと思うから期待するのです。

 

そして、その思い(自分の現実)をつくってくれるのは、その人・・ということになり、

 

自分の現実をその人に託してしまうことになります。

 

それは、依存になるのです。

 

自分で、自分の現実を創るのではなく、その人に創ってください・・と言っているのです。

 

 

 

パートナーのくせが気になる。

 

それがイヤだ・・だから、私のためにそのくせを治してください・・というのが期待です。

 

期待したけど治してくれない・・だから、私の現実は面白くなくなるのですと思うのは期待です。

 

そうなれば、ずっと面白くない現実になります。

 

自分ではどうにも出来ないからです。

 

 

 

では、自分で自分の現実を創るにはどうしたらいいのでしょうか?

 

パートナーのくせを気にしないようにする・・ということも出来ます。

 

人にはくせがある、それは仕方がない、そして、そのくせを含めてパートナーと一緒にいたい・・

 

と思うならば、そのくせは気にならなくなります。

 

だから、面白くない現実を創ることはないのです。

 

 

 

もし、どうしてもそのくせが気になってたまらない、そのくせを見てると楽しくない現実になる・・

 

と思うならば、そのパートナーと離れるという選択も出来ます。

 

 

 

どちらも、自分の考えで決定出来ることです。

 

そこには誰にも期待はありません。

 

状況にも期待はありません。

 

期待ではなく、決定になるのです。

 

 

 

期待は誰かに自分の現実を任せることになりますが、決定は自分で自分の現実を創ることになります。

 

 

 

なかなか言葉では表現しにくい話題ですが、なんとなくニュアンスで理解していただけると

 

うれしいです。

 

 

 

期待しないでください。

 

期待するとエネルギーを失ってしまいます。

 

自分ですべて決定し、自分で現実を創造することが出来ると、エネルギーは満たされます。

 

あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

(ここまで)

 


 

昨日も 息子が カレーをいっぱい作ったからと

鍋を抱えてやってきてくれて大助かり

嬉しいし助かるし有難いし美味しかったしで

しあわせでございます~~

 

 

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心から尊敬と感謝の気持ちで書かせていただきました

人生 本当にいつ何があるか分かりません

 

旧友というか 後輩が逝去したと 昔の仲間から連絡をもらいました

もう何十年という感じでその後輩とは会っていませんでしたが

学生時代に交流があった人って その仲間うちで会うと

一瞬でその時に戻れたりするじゃないですか

そんなうちの一人だったので 訃報には驚きました

 

その連絡のやりとりで 当時一番交流があった一人が

やはり最近は何年も会っていなかったけど

年賀状のやり取りだけはしていて 毎年のように

「今年こそ会いたいね」とお互い書いていて

今年のにも書いてあって…

凄い後悔していると言ってました

 

そうなんですよね

 

もう二度と会うことが出来なくなって

会っておけばよかった…と 私たちは思うんです

自分が死に直面した時も あの人に会っておけばよかったとか

もっとああすればよかった こうすればって

後悔するかもしれないのです

 

そうなってしまうとすれば それは

生きるということを粗末にしてるから

粗末にしてるなんて言い過ぎのようだけど

限りある命にならないと 明日が当たり前に来ると思ってるし

本当の気持ちを自分で一番ないがしろにしていることに

気づいてない 気づけない世の中にされて

いき苦しいのにそれに甘んじて受け入れてしまってる

 

それが分かって ほんの少しずつでも 

今を生ききろうと決めてから

もし明日死ぬかもしれないなら と

死が日常の中で ちょっとしたときに意識できるようになって

(忘れてしまうこともあるし深刻な感じではないですよ)

何かを決める 選択する 行動する 何もしない

どんなこともその瞬間の一番の自分の素直な気持ちで決めるし

覚悟もするので 後悔がなくなりました

 

日常の些細な事でも できるのにしないのは 

本気でしようと思っていない したいと思ってないからなのです

(こんなこと書いてる私だってまだすべて理解できてる訳では

 ありませんが…)

社交辞令 うわべと建て前 人の意見に左右されてる等など

口先だけの思考停止状態なんです

そうなるように教育や常識 世の中の正誤の思考が

押し付けられてきたからです

 

この訃報がなければ 私も この友人と連絡を取ることは

なかっただろうし 友人同士が今年も会うことは

私の勝手な想像ですが なかっただろうと思います

 

ご家族の方をはじめ 訃報にショックを受けている方たち

旧友たちの気持ちを 励ますことなど

死に対する概念が変わってしまった今の私には

思ってもいないことを口に出来ないので上滑りしてしまうから

なんと言っていいか分かりませんが…

 

心からの尊敬と感謝の気持ちで

アシュタールのメッセージ転載させていただきます

(ここから)

「こんにちは、こうしてお話しできることに感謝します。

”いま”しかないのです。

次の瞬間は別の”いま”なのです。

”いま”の”いま”が次も続くことはないのです。


”いま”の”いま”がまだそのまま続く・・と言うのは、推測、予測なのです。

いつでも買える、いつでも食べられる、いつでも会える、いつでもできる・・

それは”いま”を生きていません。

”いま”は、”いま”、なのです。


”いま”したいことは、”いま”してください。

”いま”を生きてください。

次の”いま”のために、”いま”の”いま”を我慢しないでください。

粗末にしないでください。


後悔・・という言葉は、”いま”の”いま”を生きなかったからです。

”いま”ではなく、次の”いま”を優先してしまったからです。

そして、次の”いま”は、それは推測にしか過ぎないので、幻の次の”いま”

まだ起きるかどうか分かりもしない”いま”のために、”いま”の”いま”を生きて

しまったから起きる感情なのです。


”いま”を生ききっていると、何が起きても後悔はしません。

それは、納得できるからです。

”いま”それを感じ、それを考え、それでいいと決めた・・だから、次の”いま”に

関してこうすればよかった、などということはなくなります。

それでいいんだ、自分で決めたことだから・・と納得できますので、後悔はありません。


そして、”いま”を自分で決め、自分の一番を優先することで、先の”いま”を

生きることがなくなりますので、好きな次の”いま”を選ぶことが出来るのです。

どういうことかというと・・”いま”を優先することが出来れば、”いま”を我慢

することがありませんので、ご機嫌さんでいられるということです。

自分の納得できる、好きな”いま”を生きることが出来るので、次の”いま”も

同じようなご機嫌さんで好きな”いま”になるのです。


いつかできる、いつか手に入る・・その”いつか”はずっと”いつか”のままです。

”いつか”を”いま”にしてください・・そうすれば、欲しいものは”いま”手に

することが出来るのです。


”いま”しかありません。

”いま”の”いま”をないがしろにして、幻の次の”いま”のために生きないでください。



”いま”を生きる・・そうすれば、あなたの手にあなたの人生が戻ってきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

(ここまで)

ameblo.jp

 

死は 誰にも必ずあるもの

忌み嫌うことでも悲観することでもない

それはそうだけど

とても大切な存在がいなくなるのは

残った方としては すごく寂しいですよね

だからこそ 今日を一緒に過ごせることを感謝の気持ちで

しっかり味わうように生きたいと思います

 

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こんなことしてていいの?と罪悪感を感じるあなたへ〜さくやさんのメッセージより〜

子どもの頃 大人がよく言ってた言葉で

 

「働かざる者食うべからず」 というのがあって

 

教訓のように 伯母に言われたりもしていたので

 

私も以前は 当然のように 口にしたことがあります

 

 

今は 子供にも言わなくなったけど 前は言ってしまったし

 

言葉を口にしなくても この思考は 結構根深く染み付いています

 

 

例えば 単純に 忙しくしてるのと 暇そうにしてるのでは

 

前者の方が 充実してるように感じたり 

 

働いてる分のエネルギーの対価は 物質的な形にだけ

 

目がいってしまいがちです

 

私 こんなことしていていいのかな? 

 

もっと 頑張らないとダメかな? と 

 

たまに ちょっと考えてしまうことが まだあるんですよねぇ

 

 

さくやさんからのメッセージ転載させていただきます

 

(ここから)

「小さなころからの刷り込みの思考が頭をもたげてくるのよ。

 

忙しい=充実・・的な。

 

忙しい人はかっこいい、忙しい人は人生をしっかり生きてる、仕事が出来る人は

 

ボ~っとなんてしてなくて忙しく働いてる、忙しい人はステキ・・的なね。

 

 

 

忙しいことはいいことだ・・ボ~っと何も生産的なことをしない人はダメな人だ・・

 

っていう刷り込みがとても強いの。

 

小さなころから、周りの大人にボ~~っとしてないで勉強しなさい、手伝いなさい、

 

・・ってお尻を叩かれてると、ボ~~っとすることに罪悪感を感じるようになるの。

 

 

 

ボ~~としてるのはもったいないことで、いけない事で、ダメダメちゃんのすること。

 

かしこい人、出来る人は、時間を無駄遣いすることなく効率よく動くのよ・・

 

ってね。

 

 

 

まるで反対なのに・・ボ~~っとするから、いいアイディアが浮かぶのにね。

 

ボ~~っとするから、英気を養う(エネルギーをチャージする)ことが出来るのにね。

 

効率、効率と言ってバタバタしてる方が効率が悪いってこと。

 

 

 

ずっと動き回るってことは、ガソリンを入れずに走る車と同じよ。

 

その内、ガソリン不足になって止まってしまう。

 

ガソリンだけじゃなくて、エンジンもオーバーヒートして壊れてしまうわ。

 

 

 

忙しいのがいいこと、効率を重視して無駄なことはしない・・という考え方で社会が

 

まわってしまっているから、こころのバランスを崩してしまう人が増えるの。

 

どうしてそんなに忙しい社会になったかというと、あなた達を支配・コントロール

 

している人たちに都合が良いからよ。

 

って、たくさん働いてくれたらたくさん搾取出来るし、そうやってあなた達が

 

疲れ果ててくれたら自分たちしていることに目を向けなくなるからなんでもやりたい

 

放題出来るし、疲れ果てた重いエネルギーも搾取することが出来る。

 

 

 

だから、小さなころから教育で努力、努力、効率、効率、ボ~~っとしちゃダメ、

 

一生懸命働きなさい、それが人のため、社会のため、ひいてはあなたのためなんだから・・

 

というお為ごかしを刷り込むの。

 

 

 

もちろんやりたいときは全力でやればいいわ・・でもね、バランスを忘れないでね。

 

走り続けることだけが良いことじゃないの。

 

働き続けることがえらいこと、かしこいことじゃないの。

 

忙しいことが充実していることじゃないの。

 

 

 

エネルギーをチャージ出来なきゃ苦しくなるだけ。

 

エネルギーをチャージするためには、ゆっくりとボ~~とすることが大切なの。

 

 

 

だから、ゆっくりするようにしてるんですけど、でも疲れがいつまでも取れない

 

んです・・っていう話を聞くことがあるんだけど、それは身体だけ何もしていない

 

状態だってことなの。

 

身体は何もせずゆっくりしてるけど、頭の中はグルグルグルグルまわり続けている。

 

そして、ミナミと同じでこんなことをしてていいの?という罪悪感にさいなまれている。

 

そんなんじゃエネルギーのチャージどころか、反対にエネルギーを放電してしまうわ。

 

どんなに身体を休めていても、エネルギーを放電してしまっているから、チャージ

 

出来ずにいつまでも疲れが取れないってことになるの。

 

 

 

ゆっくりすること、ボ~~っとすることはエネルギーをチャージするためには

 

とても大切なことなの。

 

そして、エネルギーが満タンじゃないと次に何もできないの。

 

 

 

何かするためにはエネルギーが必要だということを分かってちょうだい。

 

もし、休むことに罪悪感が出ることがあれば・・

 

したいことを目いっぱいするために、ゆっくりする、ボ~っとするんだと覚悟して

 

休むといいと思うわ。

 

そうすれば、そんなに自分を責めることがなくなると思うから。

 

 

 

ホント、あなた達は面白いわねぇ~~^^

 

休むこと、楽しむこと、ボ~~っとすることに罪悪感を感じるなんて、

 

まったくナンセンスなことなのにねぇ~~。

 

 

 

とにかく、そのように刷り込まれてしまっているということだけ認識できれば

 

その刷り込みを手放すことが出来ると思うわ。

 

 

 

身体とこころを休めて、エネルギーをチャージして、次の遊びをとことん遊び

 

尽くしてね^^

 

 

人生は楽しむためにあるんだから・・・

 

 

あなた達をこころから愛してるわ~~」

 
(ここまで)

ameblo.jp

 

思考の癖は 焦らず地道に変えていくしかありませんね

 

でも やると決めたら 動けてるし

 

ぼぉーっとするときと動く時 緩急があって

 

やるときは いつでもやれているよね 私

 

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