今日も楽しく生きていこう~

なぜ?私はこうして生きてるのだろう?辛くて悲しい事ばかりだったどん底の十数年前から楽しく生きられるように、自分で生れて来たことが楽しめるようになった、その素敵なヒントをくれた素敵で分かりやすいちょっとびっくりなメッセージを一人でも多くの人に広めたい!と言うブログ。それと私の好き勝手な思いも綴ります。

実際の話。しようと思わなくても愛をまき散らし始めるのです~アシュタールのメッセージより~

人に親切にしようとか 席をゆずるとか 人助け

目の前で困ってる人がいたら するのが当たり前のごとく

一般常識や道徳などで教えるけど

 

本来は 教わらなくても ワンネスが分かっていれば

当たり前のように 自然の行為としてすることなんだと思う

 

無理したり 繕ったり 自己犠牲してることも気づかずに

人の為に 社会の為にと考えて行動するのは

どこかでひずみが生じて バランスを崩すんだと思います

 

私も 昔は いつも 相手の気持ちを考えて 相手にとっても

自分にとっても良いと思うことをして 最初は良くても

それを続けていて いつのまにか 上手くいかないということを経験して

どうしてだろう? なぜいつもダメになるんだろう って 不思議でした

 

でも それは 結局 自分の気持ちをないがしろにしてたので

自分で気づかないうちに 相手のことを考えて優先してることに

不満が出て溜まってしまい 結果 相手にも素直じゃない態度をとったり

本当の意味で 優しい気持ちになれなくなってたんだと思うんです

 

子どもの為に 美味しくて身体にもいい食事を作ろう 

母親としたら当然の考えで 良い母親だと言われてきてること

私も 家族の為に一生懸命にやっていたんですけど

一生懸命にやってるのが 楽しかったり自分で嬉しくてやってるわけじゃなかったから

何かあると 不満が出るんですよね

例えば 作って待ってたら食べて来ちゃったとか

もちろん 食べて帰るなら一言 連絡いれてくれることも

いつも作ってくれてるのが分かっているのだから 礼儀や尊重のお互い様の気持ちから

当然のコミュニケーションだと思うけど

その連絡をくれなかったことだけに腹を立てるのではなくて

食べて帰ってきたことにも 誰と食べて来たのか?とかも気になったり

誰の為に作ってると思ってるの?なんていう よくある怒りの感情が

どんどん出てくるわけです

その怒りの感情に飲み込まれてしまうと 余計なことまで口をついて出て来たり

それこそ 痛いエネルギーをぶつけて 相手も痛くてぶつけ返してくる

 

最近の私は 自分が食べたいものしか作りませんし

作りたくないときは テキトーに買って来たりしてます

20代の娘と一緒に住んでるのですが 料理が嫌いなので

ほとんど作ることをしませんでした

以前は 休みの日くらい 夕飯作って欲しいなぁと思っていたので

疲れて仕事から帰って 何もしてない娘にたいして イライラしてました

それは 私がまだ 娘の為にご飯を作ってるという意識が残っていたからで

最近は 自分の為に美味しいごはんを食べたいから作る そのついでに

二人分作ってるんだという感じでいるので

相変わらずなんにもしないでいる娘を見ても イライラしなくなりました

 

期待するってことは 依存にもなるし 私がやってるんだから

娘もやってくれて当たり前 というようなコントロールの思考があったんです

多くの親が 無意識にこの当たり前という常識や教育から

自分のやってきたことを 子供にも求めるというコントロールをしています

 

これを わたしもいろいろやってきちゃったんだなぁ

もうやめよう! って決めました そのために自分優先だし

自分に素直に 自分の為にご機嫌さんになることをしてます

 

そうするようになってから 娘も自分で食べたいものがあったとき

ネットでレシピを探したりテレビで見たのを真似したりして

作っていることもあります

 

自分がご機嫌になると 相手に対しても 寛大な気持ちでいられる

喜ばせてあげようなんて思わなくても 自然とお互いが喜べる

それが 家族だけじゃなくて 友人でも 仕事の付き合いでも

自分の周りがそうなったら 世の中は大きく変わりますよね

 

 

アシュタールのメッセージ転載させていただきます

(ここから)

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 

あなた達はご機嫌になれば愛をまき散らしはじめるのです。

 

意識しなくても、愛のエネルギーをまき散らします。

 

まき散らす・・・表現のイメージが悪いですね(笑)

 

でもそうなのです。

 

全方向へ、狙った対象もなくただただまき散らします。

 

そして、そのエネルギーに影響され(共振し)た人もまた

 

ご機嫌さんになり愛のエネルギーをまき散らしはじめるのです。

 

 

みんながご機嫌さんで愛のエネルギーをまき散らしはじめると

 

どうなるでしょう?

 

楽しくて仕方がない世界になります。

 

 

ケンカ?なんですかそれ??・・・

 

競争?なんですかそれ??・・・

 

比較?なんですかそれ??・・・

 

・・という世界になります。

 

 

愛というのは相手に対する尊敬と感謝の気持ちですから、

 

誰も人のことに干渉しません。

 

誰かを自分の思い通りにしようなどとまったく考えません。

 

だから、すごく自由なのです。

 

 

社会のルール?・・なんですかそれ??・・となります。

 

朝起きて夜まで働く・・どうして?そんなこと誰が決めたのですか?

 

そんなことは誰かに決められることではなく、自分がしたいことを

 

したいときにします・・それって当たり前じゃないですか?となります。

 

 

働く?・・なんですかそれ??・・となります。

 

好きなことをして遊んでいるだけですが・・という考えになります。

 

みんなが好きなことをして、ちょっと多めに出来た物を差し上げるだけ・・

 

という考えになります。

 

 

誰かのために何かをするのではなく、自分がしたいことをして、多めに

 

出来たらから人に差し上げるという考えです。

 

自分が中心、自分のご機嫌さんが一番なので、人もそれぞれだということを

 

誰も疑問に思いません。

 

だから、人が何をしていようと何も言わないのです。

 

自分がご機嫌さんだから、人もご機嫌さんでいるのが当たり前・・

 

ということですね。

 

自分を犠牲にして、人をご機嫌さんにしてあげようなどと思わないのです。

 

 

そうなると、ケンカは起きません、競争も起きません、人と比べることも

 

ありません。

 

自分の意見を言い張って人に自分の方が正しいと主張しあうことがケンカです。

 

競争も自分の方が優れているということを主張するためにするのです。

 

そして、競争するという考えがあるから比較するのです。

 

 

自分が中心、自分がしたいことをする世界では人と意見が違っても

 

そうですね、違いますね・・で終わります。

 

自分が中心ですから、比較の基準がないので比較する必要も感じません。

 

 

そうなるとご機嫌さんでしかいられないのです。

 

不機嫌になる要素がないからです。

 

皆が好きなことをして、自分に必要な分よりちょっと多く作っちゃったら

 

人に上げる・・それだけのことをみんながしていればすべては上手く

 

まわるのです。

 

そして、みんながご機嫌になりますので楽しい世界しかできません。

 

楽しくない世界になる要素がないからです。

 

 

あなた達はそもそもご機嫌さんな人なのです。

 

放っておいたら、好きなことばかりをしはじめご機嫌さんになって

 

行くのです。

 

だから、ご機嫌さんにならないように好きなことをしないようにコントロール

 

されてしまっているのです。

 

原罪・・もともと人間は悪いことばかりする存在である・・と教えられ

 

良い人にならなければいけないと思い込まされ、セルフイメージを

 

低くされるのも、放っておけばご機嫌さんの軽い波動になってしまうからです。

 

 

原罪などありません。

 

あなた達はもともと愛の存在なのです。

 

だから、好きなことをしていればご機嫌さんになり、

 

愛のエネルギーをまき散らすようになるのです。

 

 

あなた達はもともとそういう存在なのです。

 

それを分かってください。

 

頑張って何かをしなくても、好きなことをしてご機嫌さんでいれば

 

楽しい世界を創造できるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

(ここまで)

ameblo.jp

 

 

 

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