今日も楽しく生きていこう~

なぜ?私はこうして生きてるのだろう?辛くて悲しい事ばかりだったどん底の十数年前から楽しく生きられるように、自分で生れて来たことが楽しめるようになった、その素敵なヒントをくれた素敵で分かりやすいちょっとびっくりなメッセージを一人でも多くの人に広めたい!と言うブログ。それと私の好き勝手な思いも綴ります。

握り続けて〇十年です!?

感覚的なことを理解する…

これってどんなことだと思いますか?

何かを“分かる”って どういうのが分かったということなんだろ?


時々 質問されることがあるんですけど

“分かるんですか?”って

“私にも分かりますか?” って

これね 私も以前はすごく聞きたくて 何度か聞いたことがあります

“どうして分かるの?”か

“どう分かってるの?”か 


“私が分かるにはどうすれば分かるの?”か などなど

その度に言われたのは 

“もう分かってるでしょう?” とか

“頭で分かろうとするから分からないの” とか

“分からないと決めてる(否定してる)から” とか

当時の私には クエスチョンなことしか返ってこなくて

『だって分かんないんだもんっ!怒』 って 悔しくて仕方なかったです

 


私たちが受けて来た教育や 世の中の常識などは

頭で理解することばかりやってきています

数学の問題を解くような クイズに答えるような 

明確なひとつの答えというものがあると無意識に思っています

なので 感じる… という感覚的なことにも 

なにか一つの答えのような “感じ方” が

あるのじゃないか??? と 

そんな風に(あなたも)思ってしまってないでしょうか? 私だけ?


昨日も レイキアチューメントをしてる中で 

「私にも分かるでしょうか?」と聞かれました

私も最初の頃は 何も分からなかった その経験をお話するんですけど

その時に ああそうかぁ って 

“分かる” って やっぱり 分りたいからやるのではなくて 

やりたいことをしていくうちに

“分かる”んだな と 

私の中で理論的? 左脳的? 言語的?に理解が生まれました


みんな何かを感じて 当たり前のように感覚を使ってるのに

それすら認めようとしない (そうなるように教えられてきました)

何か感じることを特別な力だと勘違いしてる (奇跡とか魔法とか特殊能力とか)

感覚も 感じよう感じようと思ったら 感じることが出来ないのと同じで

感覚的な理解ってのも 感じたものを左脳で言語化して理解するのって

行動して体験と経験の積み重ね が必要なんだと思います


例えば 長年おにぎりを握り続けて〇十年という人のおにぎりは 

どのおにぎりも同じグラムで握れる

というのがあるじゃないですか

もう長年やってるうちに 感覚で米の一粒一粒を感じてるというくらい 

同じグラムになるみたいな

人それぞれ持ってきた個性・才能・系統や 

五感のどの部分の感度が敏感とか

いろいろあると思いますから 自己評価を元に戻して

自分を理解することで いろいろ面白い体験をさらにしていける

これってすごく面白い!! とおもいませんか?

マヤン・ワークショップでは そんなお話も含め

楽しくやっていきたいと思っております

 

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